中学校の同級生がたくさん登場して、グラウンド、サッカー、運動会、スローガン、オキシトシン、世界大会、お前には苦い思い出だもんな、枯れ草。

そんな夢を見ながら目が覚めた。

いつものように角膜が乾いている。やけに体が冷えると思ったら、掛け布団がベッドの端に追いやられていて、その上朝方の暖房は機能していないようだった。起床とは誕生なのかもしれないと思う。

自由の効かない体を起こして冷たい空気を泳ぎ、充電してあったスマホを手に取って布団に戻った。しばらく世界の明るさに目を慣らしてから画面を見始める。送信取り消しが2件と猫耳の顔文字が1件。どちらも寝る前に通知を見て放置したものだったから、目新しさのない朝になった。

木村善彦『アイロニーはなぜ伝わるのか?』を読む。僕は人文科学全般に対して非常に懐疑的である。実験を伴わない推論を言葉遊びで糊塗したものを、必要以上に持て囃しているだけの分野に過ぎないという認識を払拭できないからである。だが、この本はそう言った人文科学的な誤謬さえも包括する、高次元から批評を行っているように思える。修辞はどのようなメカニズムで表層的なものとは裏腹な意味を包含するのか、そしてそれはどのように会話や文芸において用いられているのか。

11/19

幸せってもうわかんない。まあそれを考える余裕がある程度には幸福で、同時に不幸なんだろうなと思う。こういう文章における幸せというのは感情の名前ではなくて、自分が置かれている状況を俯瞰的に評価する単語だから。

どちらの時間も波に飲まれて踠くように一瞬で過ぎ去るから、振り返ることでしか認識できない。

使い古されて擦り切れた話題。唾棄されて然るべきだと思った。

11/2

今日もそれほど受験勉強の時間が取れなかった。それ以外の時間を何に使っていたかを思い出すのには少し時間を要した。

10時ごろに避難訓練の町内放送で目覚めた。平生のように身体の覚醒が遅れたので、仮に本当の緊急事態だとしたら逃げ遅れていたことだろう。

今月から朝食にミューズリーを食べ始めている。前日の夜から牛乳に浸していたので、容易に咀嚼できた。やはりレーズンは不味い。

それから友人とDMのやりとりをした。アニミズム信仰を批判していたら電話がかかってきて、3時間ほどいつもと同じような話をしていた。その最中に鰹のたたきで海鮮丼を作って食べた。

大学図書館に向かって勉強を始める。合計2時間ほど問題集を解いた。古文と漢文の読み方が確立されつつあるのが喜ばしい。

滞納していた蔵書を返却して、司書の「少し期限過ぎていますね」という言葉に、やや食い気味の謝罪をしながら足早に帰宅した。

夕食を食べた後、腰が重かったのでしばらく本を読んでから風呂に入った。髪を乾かすのに時間がかかるようになっている。

日付を跨いだ頃、なんとなく通話アプリを開いて適当に電話をかけたら繋がった。相手も関西の人間だったがそれほど話は弾まず、俺の出身地を田舎だと誹られたことと、やけに甲高く芝居がかった不快な口調だけが印象に残っている。

それからzonbipoのnoteを読んでいると文章が書きたくなったので、こうして誰に読まれるでもないブログを書いている次第である。